自殺したアスリート・スポーツ選手についてまとめました。
伊良部秀輝
元プロ野球選手。ロッテ・米ヤンキース・阪神などで活躍。1993年には当時日本最速の球速158km/hを記録。
2011年7月、ロサンゼルス近郊の自宅で、伊良部が首を吊った状態で死亡しているのが発見された。42歳没。
自殺の理由としては、事業に失敗したこと、死の1ヵ月ほど前から妻子と別居状態が続いていたこと(既に離婚していたとする説もある)などで、精神的に追い詰められていた事情が指摘されている。
猪熊功
柔道家。東京オリンピック柔道競技の男子重量級で金メダルを獲得。その後東海大学を母体とする東海建設に重役として入社。
1993年より社長を務める東海建設の負債総額が200億円を越えるなど業績不振に陥る。2001年9月、その経営責任を取る形で東京都新宿区にある東海建設の社長室にて自刃。63歳没。
荒井昌一
プロレス団体FMW社長。リング上で得意のギターを持って「翼をください」を熱唱したことも。
1999年頃からFMWの経営は悪化。借金を重ねた結果、家庭は崩壊、荒井の両親も自己破産を余儀なくされた。
FMWは倒産し、荒井社長は業者の取り立てから逃れるために身を潜めていたが、2002年5月に葛飾区の水元公園で首を吊って自殺しているのが発見された。36歳没。負債を苦にしての自殺とみられる。
森下直人
RIDEを主催するDSE元社長。パーフェクTV!(現・スカイパーフェクTV!)の設立に関わった。
2003年1月、投宿していたホテルの浴室内で首をつって死亡しているのが発見された。42歳没。PRIDEが軌道に乗り始め、発展していく矢先のことであった。
死去一日前の際に行われた記者会見では、これからのPRIDEの展望を、長時間に渡って熱弁していた。その為DSE関係者は「あれだけこれからの情熱に燃えていた人がなぜ急に自殺を?」と首を傾げていた。
竹地盛治
プロボクサー。後に世界王者となる石田順裕を下し、OPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王座を獲得。
琴平町・金刀比羅宮の表参道付近で用水路への転落を防止する鉄柵にロープを結んで縊死。OPBF王者との4連戦後、王座を保持したまま24歳で夭逝した。
高野光
プロ野球選手(投手)。現役時代はヤクルトスワローズで活躍。引退後は日本・韓国・台湾の球団でコーチを務めた。
2000年春まで韓国プロ野球の現代ユニコーンズで臨時投手コーチをしていたが、帰国後、精神疾患を患うようになる。
同年11月、豊島区のマンション7階にある自宅から家族の制止を振り切り、自殺。精神病による幻覚により誤って転落したと見られていたが、目撃者の話などから自殺と断定された。39歳没。
三輪田勝利
元プロ野球選手(投手)。引退後はスカウトとして、イチロー・山口和男を発掘した人物として知られる。
オリックス編成部長在職中の1998年、ドラフト会議後の沖縄水産高校の新垣渚選手との獲得交渉が紛糾。これを球団上層部が激しく指弾し、その結果三輪田は投身自殺を遂げた。53歳没。
小島義雄
陸上競技選手。沖田芳夫後の日本のエースとして活躍。元ハンマー投日本記録保持者、砲丸投日本記録保持者。
1993年3月、兵庫県神戸市北区の県道に駐車させた乗用車内で排ガス自殺。59歳没。
渡辺博之
昭和中期(1950年代)に活躍したプロ野球選手。現役引退後は母校・同志社大学の講師となり、工学部助教授・教授を歴任。
1990年10月、妻と共に縊死した。69歳没。
山藤浩三
元競輪選手。東京オリンピック日本代表選手。
1984年5月、取手市の自宅で妻子3人と共にガス自殺を図り、自身を含め全員死亡。当時の一般紙等の報道によると、多額の借金を苦にした一家心中であると見られている。39歳没。
依田郁子
陸上競技選手。元女子80mハードル日本記録保持者。東京オリンピック日本代表。
1983年10月、自宅にて自ら命を絶った。膝の膝内症の手術を受けるが手術中に麻酔のショックが起きて手術は中断し、結局手術は完了しなかった。45歳没。
大下弘
プロ野球選手(外野手)・監督。少年達からの人気は絶大であり、美空ひばりと並ぶ終戦直後の日本における国民的スターであった。
1979年5月、致死量の睡眠薬を飲み自殺。脳血栓により手足が不自由となっていた。56歳没。
瀬越憲作
囲碁棋士。1946年から48年に日本棋院理事長を務めるなど、棋院運営や囲碁普及に大きく貢献した。
1972年、体の衰えを苦に自殺。83歳没。
河津憲太郎
水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100メートル背泳ぎで銅メダルを獲得。
1970年焼身自殺、55歳没。
まとめ
自殺したアスリート・スポーツ選手についてまとめました。
新しい情報がでれば追記します。
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