自殺した漫画家・小説家をまとめました。
佐渡川準
漫画家。代表作は「無敵看板娘」。週刊少年チャンピオンに「あまねあたためる」を連載中だった。
2013年8月、茨城県北相馬郡利根町の利根親水公園で首を吊って死亡しているところを発見された。34歳没。
2日前までtwitterでごく普通の書き込みをしており、遺書も無く死を選んだ原因は不明。
平野洋子
作家。俳優船越英一郎の妹。死亡時まで旅館女将を務めていた。
2010年2月、旅館のはなれで自殺。47歳没。パニック障害やうつ病を発症していた。
草柳文惠
女性ニュースキャスター、エッセイストである。父は戦後を代表するジャーナリスト・評論家の草柳大蔵。
2008年9月、東京都中央区の自宅マンションにて自殺を図り病院に搬送されたが、後に死亡が確認された。54歳没。
体調の悪さを悩んでいたという。
犬丸りん
漫画家・エッセイスト。東京都出身。NHK教育テレビのテレビアニメ作品『おじゃる丸』の原案者として知られる。
2006年9月、自宅マンション14階からの飛び降り自殺により死去。48歳没。母親に宛てた遺書には「仕事のことで悩んでいた」と遺してあったという。
砧大蔵(きぬただいぞう)
小説家、漫画原作者。ジャンルは軍事系。
2005年4月、自殺。42歳没。
森村桂
作家。『天国にいちばん近い島』は映画化された。
2004年9月、うつ病のため入院していた長野県内の病院で自殺。64歳没。
野沢尚
脚本家・推理小説家。代表作は『眠れる森』、『青い鳥』、『恋人』よ、『結婚前夜』など。
2004年、事務所マンションで首吊り自殺。44歳没。
自殺の2か月前に放送された『砦なき者』には、自殺をほのめかすかのようにテレビ業界への絶望が描かれている。自殺した際には知人に「夢はいっぱいあるけど、失礼します」との遺書が残された。
鷺沢萠
小説家。「川べりの道」「葉桜の日」「大統領のクリスマスツリー」など。
2004年4月、都内の自宅で自殺した。35歳没。
ねこぢる
漫画家。代表作は『ねこぢるうどん』。
1998年5月、東京都の自宅で首吊り自殺を遂げる。31歳没。
数日前に急逝したX JAPANのhideの後を追ったのではないか、との憶測報道が流れたが、夫の山野一はこれをまっこう否定している。
大和田夏希
漫画家。代表作は『タフネス大地』、『われらが南風』、『虹色town』等。手塚治虫の弟子。
1994年2月、仕事場に来たアシスタントが大和田の遺体を発見する。自殺であった。41歳没。
藤田五郎
極道出身の小説家。任侠小説を主に書いた。映画『仁義の墓場』の原作者。
1993年、東京都中央区内のホテルでビニール袋をかぶり窒息自殺した。62歳没。
西村潔
映画監督。『西部警察』『探偵物語』『ザ・ハングマン』などに監督・演出として参加。限られた予算と時間で作品を成立させる腕前が高く評価された。
1993年11月、神奈川県葉山町の海岸で溺死体で発見され、捜査当局は自殺と断定。61歳だった。
山田花子
漫画家。人間の偽善や心の闇をテーマにしたギャグ漫画を描いて世の中の矛盾を問い続けた。著作に『神の悪フザケ』『嘆きの天使』『花咲ける孤独』など。
1992年3月、統合失調症のため入院。徐々に回復の兆しを見せ、漫画が描けるほどに回復する。2ヵ月半の入院生活を経て5月23日に退院。翌24日夕刻に団地11階から投身自殺。24歳没。
佐藤泰志
小説家。芥川賞には5回候補となるが落選。
1990年、自宅近くの植木畑で自殺。死後は全作品が絶版となっていたが、再評価が進み『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』の映画化や、ドキュメンタリー映画『書くことの重さ』の公開などに至る。
河合義隆
映画監督・演出家。テレビドラマの撮影を通して、当時20歳だった女優・荻野目慶子と知り合い、熱心な演技指導を続けているうちに交際が始まった。河合には当時、妻と長男がいたため、これは不倫関係であった。
1990年4月、不倫関係にあった女優・荻野目慶子の自宅マンションで首吊り自殺。43歳没。
荻野目は、「私から別れ話を持ち出したら、河合は『別れるぐらいなら死にたい』と言っていた」と涙ながらに語った。
石沢英太郎
推理作家。中華民国大連市育ち(生まれは日本本土)。『視線』で第30回日本推理作家協会賞短編賞を受賞。
1988年6月、首つり自殺により72歳で死去。
田宮虎彦
昭和期の小説家。『絵本』そして『絵本』の続編的内容である『足摺岬』などが代表作とされる。その私小説世界は、いまなお多くの心を捉えている。
1988年マンション11階ベランダから投身自殺する。脳梗塞が再発し手がしびれて思い通りに執筆できなくなったため命を絶つとの遺書が残されていた。76歳没。
鈴木いづみ
作家、女優。17歳のとき書いた小説が『小説現代』新人賞の次点に入選したのを機に上京。ホステスやヌードモデル、ピンク女優を経る。
1986年、自宅で首吊り自殺する。36歳没。健康を損ねて生活保護を受けていた。
鴨居玲
洋画家。社会や人間の闇を描いた画家であった。
神戸市の自宅で排ガスにより自殺。心臓の病気と、創作に行き詰まり(この時期は自画像をひたすら描いている)、たびたび自殺未遂を繰り返した末の死であった。57歳没。
金鶴泳
作家。「冬の光」「鑿」「夏の亀裂」「石の道」の四作が芥川賞候補作となる。吃音者・在日朝鮮人二世という苦悩の中、独自の世界を描いた。
1985年、ガス自殺。46歳没。
ちばあきお
漫画家。野球漫画『キャプテン』『プレイボール』の作者。漫画家ちばてつやの実弟。
躁鬱病を患った後、1984年9月13日に首つり自殺を図り41歳で逝去。
絶筆となった『チャンプ』の最終回(第8話)は、チーフアシスタントであった高橋広が、ちばあきおの下絵をもとに作品として仕上げ掲載された。
江夏美好
女性作家。「脱走記」で直木賞候補、1964年「流離の記」で再度候補となる。『下々の女』で田村俊子賞受賞。
口腔がんを患い、闘病生活のなか、1982年7月に首を吊って自殺した。59歳没。
山本弘
洋画家。アルコール中毒に苦しみながら油彩を制作し続ける。
1981年7月、2度アル中治療のため入院するが完治に至らず。最後に1年余の入院から退院後まもなく自殺する。51歳没。
杉山登志
CMディレクター。テレビ草創期から数多くのテレビCMを製作し、国内外の賞を数多く受賞。
1973年12月、自宅マンションで首を吊って自殺した。まだ37歳の若さだった。
遺書は『リッチでないのにリッチな世界など分かりません。ハッピーでないのにハッピーな世界など描けません。夢がないのに夢を売ることなどは……とても……嘘をついてもばれるものです』と書かれていた。
小林美代子
小説家。自らの精神科病院入院体験を題材にした小説『髪の花』、自伝的小説『繭となった女』を発表して高い評価を受けた。
目まいや幻聴が再発し、2年後の1973年に東京都三鷹市内の自宅において睡眠薬自殺を図り自ら命を絶った。56歳没。
弓削太郎
映画監督。大映のプログラムピクチャーを多く監督した。
大映倒産後の1972年に行方不明になり、翌年に軽井沢の父親の別荘で首吊り自殺の状態で発見された。発見時、すでにミイラ化しており、所持品の日記のページには「死ぬ」と書かれていた。
川端康成
小説家。死や流転のうちに「日本の美」を表現。ノーベル文学賞を日本人で初めて受賞した。
1972年、マンションの自室で、ガス管を咥え絶命しているところを発見され、ガス自殺と報じられた。72歳没。
死亡当時、死因は自殺と報じられ、それがほぼ規定となっている。その一方で、遺書がなかったことや、死亡前後の状況から自殺を疑い、事故死とする見解もある。
剣持勇
インテリアデザイナー。第二次世界大戦後にジャパニーズ・モダンと呼ばれるデザインの礎を創ったと言われる。ヤクルトの容器も剣持デザインの代表作
1971年、ガス自殺により死去。59歳没。
三島由紀夫
小説家、政治活動家。戦後の日本文学界を代表する作家の一人。人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。
1970年、楯の会隊員4名と共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れて東部方面総監を監禁。部屋の前のバルコニーでクーデターを促す演説をし、割腹自殺を遂げた。
この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生れるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を及ぼした。45歳没。
芥川龍之介
日本を代表する明治~昭和初期の小説家。
1927年(昭和2年)7月24日未明、致死量の睡眠薬を飲んで自殺した。享年35歳。
死の数日前に芥川を訪ねた親友によれば、芥川はその時点でもう大量の睡眠薬でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。
太宰治
日本を代表する小説家、戦前から戦後にかけて多くの作品を発表。
1948年(昭和23年)6月13日に玉川上水で、愛人山崎富栄と入水自殺。2人の遺体は6日後の6月19日、太宰の誕生日に発見された。
まとめ
自殺した漫画家・小説家の真相についてまとめてみました。
また新しい情報があれば追記します。
コメント
ふむ
自分も歳を重ねドキッとするような自殺年齢が何個もあったなぁ。
でも死なんで良かった
あんときゃやばかったけどなぁ
「希望あるやろ?時間使ってコツコツやりゃ1年後はどうや?2年後はどうや?今より上向いとる可能性あるやろ?」
とか自分に言い聞かせとった
懐かしい。いわゆる鬱やったわ