とある雑居ビルでのゾッとした話です。
神戸市の国道2号線沿いに、
4階建の古い雑居ビルがありました。
(現在は神奈川に引っ越したので未だにあるのかは不明)。
入れ替わる店舗
1階店舗には以前、ラーメン屋さんが入っていました。
私が散歩しているとラーメン屋さんが店をたたんで、
別の新しい店舗が入るための内装工事をしているのを見つけました。
私は「またか」と思ったのは、
ここの店舗には飲食店が
何度も入れ替わっていることを知っていたからです。
昼のランチどきには客はそこそこ入っているのに、
定着する店がないのが不思議でたまりませんでした。
人がいない雑居ビル
その雑居ビルの2階から4階(屋上)は賃貸の住居のはずが人の出入りがありませんでした。
私がいつも散歩で通る時は、
4階までの部屋の窓は開いているところや
閉まっているところがありました。
カーテンなどは見えないため空室の筈で、
だれもいないのに不気味だなと思いながらも、
それほど気にはしていませんでした。
私は看護師をしていました。
別の病院で夜間救急に携わる看護師の沙織(仮名)という友達から、
その雑居ビルの噂話を聞いたことがありました。
沙織の病院には月に1度くらいの頻度で深夜2時頃に、
その雑居ビルの誰かが救急車を呼ぶとのことでした。
しかし、救急車が駆けつけてもだれもいない。
空っぽの部屋があるだけでした。
雑居ビルの秘密
ある日、病院で担当したある患者Aさん(84歳女性)と話していたときのことです。
その方は、1995年の阪神淡路大震災の被災者でした。
阪神淡路大震災では直下型地震で古い建物の多くは崩れ、
多くの人が生き埋めになりました。
Aさんは息子さんが地震で亡くなられたときの話をしてくださいました。
避難所、がれきの下、遺体安置所も巡って息子を探したと言います。
Aさんは息子さんが遺体で安置されていたのを地震から2週間後に発見しました。
安置されていたのは、
多くの建物が崩れる中で生き残ってポツンと佇む雑居ビルだったそうです。
疑問に思い場所を尋ねると例の雑居ビルでした。
例の雑居ビルが遺体安置所だったことを初めて知りました。
雑居ビルの声
わたしはAさんに
「あの雑居ビルに人がいないのはなぜでしょうね」
と何気なく聞くと、Aさんが首をかしげたようにし
「え?たくさん住んどるやんか」と言いました。
わたしは怖くて聞き返しませんでした。
救急看護師の沙織に話すと、
「ボケてるんじゃない?」
と笑って言われました。
しかし、私は看護師をしているので、
その方が認知症でないことははっきりわかりました。
Aさんは膝痛で検査入院しているだけで、
普段は自営業を営む頭のしっかりした方でした。
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