これは私の母の身に起きた実際の出来事です。
五年前くらい、私の母は、とあるホテルの掃除のアルバイトをしていました。
そのホテルは駅からも近く、大きな道路の前に面した立地条件のいいビジネスホテルでした。
そういうと聞こえはいいのですが、築三十年は過ぎているため、
外から見ても白い壁が黒ずんでいて、窓から見える部屋の灯りも薄暗く、
見るからにカビ臭い感じのする建物でした。
私の母はそのホテルで清掃員として雇われていました。
仕事内容は主にベッドメイキングです。
しかし、母はそのバイトを初日から辞めたがっていました。
というのは、ベッドメイキングをしていると、
ドアの向こう――廊下のほうで人が歩いている気配がするからです。
そんなことあり得るはずがないのです。
このお昼の時間、サラリーマンは普通、仕事のために外に出てますから。
実は母には霊感があるらしく、小さいときから幽霊をよく見たのだそうです。
仕事中、母は心の中でこう思ったのだそうです。
――このホテル、絶対にいてる、と。
ある日、母はトイレ掃除をするように上司に言われました。
その上司は意地の悪い女性で、母が
「ここのホテルはいてるだけで嫌な気配がする」
と訴えたところ、それを面白がって、わざとホテルの一室よりさらに暗いトイレ掃除ばかりさせるようになったのです。
しかし、母は雇われたばかりなので刃向かうことはできません。
仕方なく、母はトイレ掃除へ向かいました。
掃除が終わり、雑巾を洗面所で洗っていたときのことです。
すぐ後ろで人が立っている気配がするのです。
母はすぐにトイレから出たい衝動に駆られました。
しかし、洗面器から顔を上げれば、目の前には鏡があります。
顔を上げれば、鏡越しに後ろにいる〝なにか〟が見えるのは確実です。
母は視線を床に向けたまま、トイレから出ました。
その後、母はすぐに雇い主のところに電話し、仕事を辞めました。
私の母はいまでも、そのホテルの前を通ろうとしません。
ちなみに、そのホテルが建っている場所一帯は、
人柱の習慣があったところで有名な場所なのだそうです。
実際にホテルの近くには、人柱の犠牲になった人を慰めるための慰霊碑もあります。
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