その日、2005年4月、
私たち家族は以前から楽しみにしていた日本国際博覧会、別名・愛知万博に訪れました。
長女は15歳、次女は13歳でした。
前売りチケットは購入済みでしたが、ゲート前はまだ午前8時過ぎというのに、長蛇の列をなしていました。
なかなか、列が進まないので、娘たちは座り込みそのあたりの草むらで
クローバーが、一杯生えていたので、四葉さがしを始めていました。
「そんなもの、そうそう見つからないわよ。」
なんて私は横目で見ながら思っていましたが、数分で次々と容易く、
四葉クローバーが見つかり娘たちは喜んでティッシュにくるんで大事そうにポケットに仕舞い込んでいました。
「何かいいことあるかもしれないね」などといいながら、
これから始まる万博の滞在時間にワクワクと楽しい期待をしていました。
やっとゲートをくぐり、ありとあらゆる国々のパビリオンやあちこちで行われているショー・パフォーマンス、
芸術品また色々な外国人とのコミュニケーションを体験しました。
4月にしては、快晴でしたが、かなり暑い日で地面からの太陽光線の反射も激しく眩しかったことを覚えています。
夕食にアジアの外国料理を食べたら、もう外は薄闇が訪れてすぐに夜になってしまいました。
空を見上げると南東方向にひと際大きく光る一番星が見えます。
それでも、まだまだ遊び足りず、出店などで、レモンパイなどを買って食べながら、
少し冷たくなった夜風にあたりながらぶらぶらします。
ふと、娘が「お母さん、あの星ずっと、あと付けてくるね」と言ったのです。
そうなのです。どこにいてもその星はやけに光ってこちらを見ているようについてくる気がさっきから私もしていました。
さんざん遊び、夜、10時過ぎに自宅に戻りました。
丁度、午前0時でしょうか。
自宅電話が鳴ったので、少し嫌な予感がして受話器をとりましたが、無言です。
数分経ち、また、鳴りました、無言でした。
おかしいなと思いつつも寝床に入ったとたん、姑の近所の方から電話がありました。
「電気が一日中付きっぱなしでおかしい」と。
医師の話によるとその日の朝8時半ころ、姑は倒れたようです。
あの日の全ての出来事は早く何かを知らせたかったとしか思えません。