仙台に暮らしていた私は母親が自転車での行動が多かったため小さい頃から母親の乗っている自転車の後ろ姉妹それぞれ自電車に乗って追いかけることが日常茶飯事でした。
その日は買い物からの帰りでいつものように母親の後ろをくっついて自転車に乗っていました。
私はその日のことをとても鮮明に覚えています。
帰り道眠いわけでも特別疲れていたわけでもなかったのです。
ただいつもどうりに母親の背中を追っていると家路に向かっているはずなのに知らない保育園の駐車場でその自転車で止まりました。
「なんでここで止まるの?」
と思わず尋ねると振り返ったその人の顔は母親とは似ても似つかない人でした。
その時になり初めて自分が知らない人について行っていたことに気付きそこからはパニックになり泣きじゃくりながら母親を探し回りました。
どこに自分が居るのかもっと冷静になっていればこんなに大事にはならなかったのでしょうがそんなことを考える余裕はありませんでした。
その時間は30分にも1時間にも感じました。
そのうち疲れてアパートの駐車場の車止めに座って途方に暮れているとアパートの中から1人の男の子が出てきました。
私が1人で座り込んでいるのを見て心配して見に来てくれたのです。
迷子になったこと、母親を探していることを伝えると、それならば家で待っていればいいとそのアパートの中で待たせてもらえました。
私が覚えているのはここまでです。
このあと安堵感からか眠ってしまったらしく目が覚めるとそこは自分の家の自分のベッドでした。
その後母親から聞いたのは、目を離した2、3分のうちに私がいなくなっていたこと。
私が乗っていた自転車が入口にあり見つけられた事。
その建物の玄関で1人で寝ていた事でした。
親もなぜあんなところに寝ていたのか不思議でしょうがないと言っていました。
後日、母親に連れられ見つかった場所に連れて行ってもらいましたが、私の記憶の中にある建物とは全く違うボロボロの廃業した眼科病院でした。
そんなちょっと不思議な経験をしてから10年近く時が経ち高校生になった私はコンビニでアルバイトをしていたある冬の日。
いつもの帰り道を何気なく歩いていると工事をしているのが目につきました。
そこはあの日男の子に連れられて入ったあのアパートでした。
母親に連れられ見たあの病院ではなく私の記憶のとおりのアパート。
一年近くバイトがある日は毎回通るこの道にあったなんてと驚いて、シートがかぶっている解体かけのアパートを見つめていると、2階のガラスが外された窓から男の子が1人私に向かって手を振っていました。
その男の子があの時私に声をかけてくれた男の子なのかはわかりません。
次の日その建物を見るとそのアパートは完全に解体されて跡形もありませんでした。
今でも不思議な説明のつかない出来事でしたが、あの時私を助けてくれたあの子に感謝を込めて。