地元の情報になりますが、観光地として有名になりました我がふるさと函館。
恐怖スポットが結構ありますのでその中から2つ、ご紹介します。
函館の心霊スポットその1「隠れキリシタンの墓(清川陣屋跡)」
通称「隠れキリシタンの墓(清川陣屋跡)」と呼ばれています。
正確には、隣町の北斗市にあるのですが、清川陣屋跡という史跡があります。
そこの坂道を上り、あとは道なりに奥へ奥へと進みます。
手前には果樹園があり、そこをすぎると田んぼが出てきますので、横を通って行きます。
砂利道を車で20分~30分も進み、「けっこう山の中に入ったなぁ~」と思った瞬間、突然墓地が現れまして、十数基のお墓が現れます。
しかもそのお墓はすべて十字架ですので、始めてみた時は、ものすごく驚いたのを覚えています。
ご存知と思いますが、安土桃山時代に日本に大勢の宣教師が訪れて、キリスト教を布教していきましたが、豊臣秀吉の時代から、
特に本格的になったのは江戸時代になって大規模な「島原の乱」と呼ばれるキリスト教信者の一揆が発生してから、キリスト教の信仰は徹底的に取り締まられました。
徳川幕府の手から逃れたキリシタンの中には、当時まだ未開発の地であった北海道へ逃げ込んだ者も多かったようです。
そのため北海道には、この清川陣屋奥地のほか、松前方面にも隠れキリシタンの墓があります。
ちなみに、ここに初めて行ったときは明るい昼間で、怖かったですが特に何も起きずに帰ることができました。
しかし2回目、大学生の時に悪友3人と遊んでいた夜中、誰かが「隠れキリシタンの墓行こうぜ」と言いだし…
車で向いましたが、なんと途中で車が動かなくなるというハプニングが発生しました。
ぬかるみにはまってタイヤが空転したのですが、みんなで車を押し、一目散に逃げたことがあります。
隠れキリシタンの墓(清川陣屋跡)の基本情報
正式名称:上磯ハリストス正教会野崎墓地
所在地:北海道北斗市中野177
函館の心霊スポットその2「赤墓」ご存知ですか?
行きたい町日本一に輝く函館ですが、色々な心霊スポットがあります。
今回は「赤墓」と呼ばれる場所について述べさせていただきます。
函館は、元々はあまり多くの人が住んでいませんでした。北海道に倭人が住み始めた江戸時代、松前藩がこの地を治めていましたが、その居城は遠く「松前」にありました。
また、松前の近くにある「江差」と呼ばれる地でニシン漁による北前船の交易が盛んになり、数万人の人口を誇ったと言われています。
どちらも、今の函館からは100km近く離れた場所にあるのです。
函館に人が住み始めたのは、江戸時代の終わりに、ロシアからの防御のために「五稜郭」が築城されたあたりから、さらに言えば人口が増えたのは開港以降、明治の話となります。
さて、ご存知函館山は、そのふもとのあたりに大勢の人が住んでいました。
向かって左側には「谷地頭」と呼ばれる温泉地があり、駅前を中心に栄えていました。
向かって右側は、昔からお寺が立ち並び、そのため「お墓」が多くあったところです。
特に有名なのが「外人墓地」と呼ばれる場所で、函館山を正面から見て右側の山の中腹手前くらいにあります。
ちょうど函館港が見渡せる小高い場所にあり、開国を期に日本にやってきた外国の方々のうち、函館で亡くなった方の霊をとむらっています。
その、外人墓地から少し山の上の方に向かうと、日本人のお墓がたくさんあります。
その中に、「真っ赤に塗られたお墓」が存在します。
通称「赤墓」。
ここに眠るのは「天下の号外屋 信濃助治」と言われ、真っ赤なお墓に白塗りの文字で書いてあります。
なんでもこの方が全身真っ赤な格好で日清戦争の号外を配ったところからきているそうですが…。
とにかく、夜にそのお墓を見ると、正直叫びたくなるくらい怖いです。
昼間に見てもものすごくびっくりします。
肝試しに良く使われるので、その近くで人魂を見たとか、幽霊を見たとか目撃談もいろいろあります。
函館に来た際は、一度見てください。
赤墓の基本情報
この赤墓は当人の遺志によって赤く塗られており、今なお年1回親族によって塗り替えられているという。
所在地は北海道函館市船見町。
函館山の麓にある外国人墓地の一角にそれはある。