3月の事です。
私は友達のR君と共に新潟県の糸魚川市の方に行くことになりました。
それは学生時代の後輩のサークルで一緒だったK君が糸魚川の実家に住んでいたからです。
何故行くことになったのかというと、
糸魚川では、TVでニュースになったのですが、中華料理屋の店主さんが、火を掛けたまま、パチンコに行った際、火が燃え移り、
糸魚川の街が木造の古い家が多く、風や飛び火で数十件の家や店が燃え中心部の街並みが駄目になり、北陸新幹線も止まり火の勢いも一日では鎮火せずに数日かかりました。
家は燃えましたが、死人は誰も居ませんでした。奇跡でした。
K君の実家も昔からある古い木造で燃えました。
K君も数年前に東北地方から実家に戻り、地元で会社員として生活してました。
他の友達のカンパ等を届けるために3月頭、私はR君と車に乗ってK君の元に行きました。
私とR君は言葉を失いました。
燃えた街並みが戦争でも起こったかの様に瓦礫と煤だらけで辺りも真っ黒で驚きました。
瓦礫の撤去も行った時はなかなか進まず、TV以上に進行が遅く大変でした。
私達は何とかK君と会うことができました。
隣町の妹さん夫婦の家に厄介になったK君はげっそりやつれてました。
雪はほとんどありませんでしたが、風が冷たかったです。
K君にカンパを渡して色々労い話をしました。
ですが、K君の実家のあった場所はまだ瓦礫が撤去できずにいて、ちょっと取り出す物や探し物もあるので手伝ってほしいとお願いされました。
私達は協力してやることにしました。
次の日には私もR君も速く地元に帰る所要もありましたので、隣の市のホテルに泊まることになりました。
そのホテルに行くまでに片づけを手伝いました。
夜の19時からスタートしました。
本当は昼間が良かったのですが、この時は昼間は規制があったりなかなかK君も実家に近づいての撤去ができませんでした。
K君のご両親もご病気や介護等がありできない状況でした。
夜になると、警察や市の規制も解除になるので、軽く小一時間しました。
辺りはほとんど誰も居なくて、真っ黒な木の柱をどかしたりしていきました。
夜の時折吹く風の冷たさが非常に辛かったです。
K君が「暖かい珈琲等買ってきます。」とその場を離れました。
私とR君で協力し、柱や瓦礫をどかして行ったら、K君の家のものがまだ残っていたり、燃えて駄目になってしまったものもありましたが、色々発見できました。
夜は月は雲に隠れていて真っ暗でした。
私が、浴槽があった辺りを片付けようとした時でした。
ふわりと私の目の前を白い小さな物が落ちてきました。
私は寒さもあり雪が降ってきたかなと思いました。
ですが、雪は降ってませんでした。
おかしいなと思いながら作業を繰り返そうとしたら白い丸い小さな玉が私の目の前でゆっくりと旋回しました。
おかしいなと思い目を擦ってみるとそれはパンと弾けたように消えました。
不気味、怖さよりも驚きの感情でした。
ふと我に返り周りを見ると、R君の姿がありません。よく見るとR君は瓦礫近くの他の家の壁辺りで蹲ってました。
青白く疲れた顔をしたR君は具合が悪そうでした。
どうしたのかと聞くと、
「自分の右足首を誰かが掴んでいたんだ。とても冷たくて氷のような感覚だった。周りを見てもお前以外に誰も居ない。気持ち悪くなって休んでいた。」と言いました。
私が改めて周りを見ると誰もいませんでした。
その後、K君が帰ってきて暖かい缶コーヒーを飲み少し手伝い帰りました。
その後、K君から撤去も無事終了し、現在復興の為に再度家の立て直しを検討しているとの事でした。
良かったと思いましたが、私とR君が春の上旬に出くわしたものは一体なんだったのかわかりませんが、そんながれき撤去中に体験した夜の出来事でした。