昭和21年頃から50年程前まで
出稼ぎと言って田舎の人達が田植え時期以外は東京へ住み込みで仕事をしに来ていました。
私の父は山形県の寒河江市と言う所の出身で東京で建築関係の仕事である程度成功していました。
当時寒河江市の3割近い人が出稼ぎで家に住み込みで働きに来て、
田植え時期になると帰り又来ると言った事で人材を確保していたようです。
長い人は私が生まれる前からいる人もいて随分と可愛がってもらいました。
それはそれは毎日が賑やかで夜になると必ずと言っていい程宴会が始まり、
当時はカラオケなど無く皆手拍子で歌を歌ったりしていました。
子供心にとても楽しかったのを覚えています。
時代の流れで建築業界も機械が発達して人に取って変わって行き一人減り、
二人減りと目に見えて人が減っていきました。
父も七十歳になると廃業して家にずっといるようになりましたが、元気で毎晩ビールを三本程飲んで居たようです。
以前住み込みをしていた人など忘れかけた頃の事です。
連絡も何も無しに当時働いていた人が訪ねて来ました。
東京に用事が在ったので立ち寄ったとの事でした、
その日はとても話に花が咲き二人ともとても楽しそうでしたが、
帰り際いきなり声を上げて泣き出し、しきりに会えて良かった会えて良かったと言って帰って行きました。
その日から二日、三日した時でした、夜中にいきなり電話が鳴りあんなに元気そうだった人が亡くなったと連絡が在りました。
こんなタイミングで会いに来たのは色々な人に会うため旅に出たのではないかと、
父が言っていたのを今でも覚えています。
体が無く、魂だけの場合もきっとあるでしょう。