沖縄の悲しみはまだ深い所で眠っている【ガマと呼ばれる洞窟の防空壕】

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それは、当時私たちが高校生の時の事でした。

高校2年の秋、私たちは修学旅行で沖縄へ行きました。

沖縄へ修学旅行というと、テーマは決まって”戦争”にスポットが当たります。

どのようにして昔の人たちは、今日まで生きてきたか、また、亡くなっていった方たちはいかに悲惨な状況だったかを教えられます。

私たちはひめゆりの塔や、平和記念公園等を巡りました。

最も強烈に印象に残っているのが、”ガマ”と呼ばれる自然でできた洞窟を防空壕の代わりにしていた場所です。

その場所は、ジャングルのように鬱蒼と草木が茂った中にポツンとありました。

目の前に立ち止まった瞬間に、霊感を一切持たない私でさえも何か重たく、冷たいものを感じる、そんな場所でした。

戦争から既に何十年も経っているというのに、その場所だけ時間が止まっているかのように、銃弾の跡など、当時の激しい戦いの生々しい爪痕が残っておりました。

入る前に、長年その場所でガイドを務める、かなり年配の男性が言いました。

「この場所は、当時防空壕として使われていたのですが、アメリカ兵が乗り込んできて中にいる人たちをみんな焼き殺してしまった。」と…

私たちは足を進め、その中に入って行きました。

肩が重く感じ、足も重く、思うように進まず、当時の人々の悲しみを感じたのを今でも覚えています。

中は懐中電灯を点さないとほんの先も見えないほどに暗い場所でした。

丁度中間に来た時、みんなで懐中電灯を消して黙祷をしました。

黙祷を終え、ガマを出た先の所で再び年配の男性ガイドさんのお話を聞いてました。

するとその時、クラスの男子生徒が突然笑いながら倒れ、”体が動かないと”叫びました。

始めは笑っていた彼の表情はどんどんと不安な表情に変わり、遂には涙を流しながら”苦しい”と言いました。

全く動ける状態ではなくなってしまった男子生徒を見て、ガイドの男性は私たちに向かって

「誰か塩を持ってる人はいませんか?」と聞きました。

そんな時に塩を持っている人なんているのだろうかと思ったその時、クラスの1人の女子生徒が手を挙げ、「私、持ってます!」と言いました。

とても驚きました。

そんな時のために、念には念をという事で持って来ていたそうです。

すぐさま塩をかけてもらった男子生徒は既にぐったりしており、2人の先生に抱きかかえられておりましたが数分経っても良くなる様子はなく、それを察した先生は救急車を要請しました。

私たちはその男子生徒を1番広い後部座席に寝かせ、救急車を待ちました。

その時彼は、普段の彼じゃない声で泣き叫び、尋常じゃない程苦しんでいました。

先生が救急車の到着に気づき、彼を抱きかかえて私たちの前を通った時、驚きの光景が目に飛び込んで来ました。

その男子生徒の指は奇妙な角度に折れ曲がっており、明らかに人間の表情ではありませんでした。

彼はその後突然むくっと起き上がり、今まで抱きかかえられていた先生の手をものすごい勢いで振り払い、自らバスを降り、救急車に乗り込んで行きました。

私たちは何が起きているのかしばらく理解できず、何か怖い映画でも見ていた様な気分でした。

しかし、1番怖いと感じたのがその後、ガイドである年配の男性が放った一言でした。

「今日は、男の子だったか…珍しい事もあるもんだ。いつも兵隊さんは女の子にすがるんだけどな。こんな事は初めてだ」

ととても冷静におっしゃっておりました。

もしかすると、その男子生徒は女子生徒と間違えられてしまったのかもしれません。

いずれにせよ、その男子生徒はその後ほとんど当時の記憶がなく、ただただ息が出来なかったと語っておりました。

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