大学に入学した時、新歓の席でのことです。
話の流れで、僕はどこのアパートに住んでいるか、答えることになりました。
すると先輩が、「じゃあ北門を通るわけだな」と、神妙な顔でつぶやきます。
「どうしたんですか」と尋ねると、
「いや、あそこ、女の霊が出るって噂なんだよな」と、真面目な口調で答えるのです。
場は、シン、となりました。
別の先輩が、執り成すように小ボケを挟んで、どうにか盛り返しました。
それから、三か月ほど経った頃です。
僕は同級生と、駅前の居酒屋で呑みました。
帰りが遅くなったので、僕は大学構内を通り、アパートに戻ることにしました。
ふらふらに酔い潰れていました。
自転車を引くカロカロカロ、という音が、夜の静かな構内に響いていました。
北門に辿り着いた時に、僕はハッとしました。
正門は、夜遅くまで開いているから、入る分には全く問題ないのですが、
北門は規模が小さいためか、割と早い時間に閉まるのです。
だからその日も、門は固く閉ざされていて、僕はちょっとの間呆然と立ち尽くしていました。
引き返そうとも思ったのですが、面倒だし、そこからさらにぐるりと大学の周りを歩くというのも、億劫でした。
北門をよく見ると、門の横の塀は存外低く、
自転車をまず向こう側に運び、その上で飛び越えるということが、充分に可能なことに思えました。
酔っていたから、思い切りが良くなっていた、ということもあります。
とにかく僕は、早く帰りたいということもあり、自転車を持ち上げて、それから慎重に、向こう側に下ろしました。
最後に少し雑になって、乱暴に落ちる形にはなりましたが、成功には変わりありません。
僕はホッと一息ついて、それから自分自身も、塀を飛び越えようとしました。
その時、右足に、妙な感覚がありました。
引っ張られるように、ガクッと体が下がったのです。
でも一瞬でした。
酔っているな、と自分を納得させました。
錯覚だろうと。
家に帰り、僕はシャワーを浴びました。
その頃には酔いも少しは醒めていました。
髪を洗い、身体を洗い、ふと右のくるぶしに目を向けました。
そこには、誰かに捕まれたような、青紫色のあざがありました。
僕は、小さくヒッと叫びました。
それが、先輩の言う女の幽霊だったのかどうか、僕には未だに分かりません。
けれど、確かにそのあざは、ちょうど女の人の手の大きさくらいでした。
そして、どういうわけかそのあざは、五年経った今でも、僕の右のくるぶしに残ったままです。
あるいは永遠に消えないのかもしれません。
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