日本航空ジャンボ機墜落事故後、御巣鷹山では不思議な話が少しずつ広まっていました…。

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交通事故

もうこの事故を知らない若い人も随分増えましたが、

1985年8月12日「日本航空123便墜落事故(日航ジャンボ機墜落事故)」がありました。

日本航空ジャンボ機墜落事故とは…

羽田を離陸してから約12分後、ジャンボ機の異常を機長が感じてから17分後、

全くコントロールの効かないジャンボ機は群馬県御巣鷹山に墜落しました。

15年後に発表されたボイスレコーダーから、

コックピット内の機長、副機長、フライトエンジニアの3人が

どんなに頑張ってジャンボ機を羽田へ返そうとしたか、

又、最後には山に不時着しようと闘った事が世間にもわかりました。

一方機内では一瞬落ちて来た酸素マスクを付け、

左右にゆっくり揺れ始めたジャンボ機に乗客たちは不安を感じていました。

そのうちジャンボ機はダッチロールを始めます。

不時着に備えて全員足の間に頭を入れる格好を取りました。

中には遺書を書いた人も数人いました。
日航機123便墜落事故の遺書

ですが、不運にも航空機は墜落と言う最悪の事態を迎えてしまいました。

墜落事故の生存者はたったの4人

墜落現場は山の中。

現場へ行く道も無く、8月の猛暑の中生存者を救ったり、

ご遺体を運ぶ作業は想像を絶する困難がありました。

500人以上いた乗客のうち、生存者はたった4人でした。

この墜落事故で亡くなられた方の中には、

「上を向いて歩こう」で有名な坂本九さんなど有名人もいました。

航空機の墜落現場は凄惨だった…

人体の破片、薬品の匂い、嘔吐する同僚や警察官。

訳も無く涙が出てきて仕方なかったそうだ。

日航機墜落の検死官による悲惨な話

現場は悲惨で、手足がそこらじゅうに散らばっていて中には、どれがどうなっていたのか分からないほどの肉塊もあったという。

その日、彼は泥だらけの1つの肉塊を洗っていた。

徐々に頭髪と思われるものが見えてきたので
「あぁ、これは頭か…。」
と、その姿が全貌を現したとき、彼は戦慄した。

それには、目が3つあったのだ。

衝撃等で片方が無くなり、1つ目になるなら分かるが、目が3つ…。

1つ増えるなんて、どう考えても変である。

そこで、彼は、それをじっくり観察してみると、目の周囲に少し溝があるのを発見した。

早速、個人特定と原因解決のためレントゲン等で調査をしてみるとなんと、その頭にはもう1つ頭が重なっていたのだ。

つまり、飛行機が墜落したときの衝撃で後部座席に座っていた人の頭が、ものすごい勢いで前の席の人の頭を直撃したのである。

墜落現場の捜索をしていた自衛隊員の一人は言いました。

「この人たちは、飛行機堕ちるまでどんだけ怖かっただろう、無念だっただろう」

墜落現場に建てられた石碑

墜落現場に建てられた石碑「昇魂の碑」

日本航空墜落事故その後の怖い噂

その作業も終わりを迎え、そろそろ肌寒くなった頃から、

群馬県上野村近辺ではある噂が少しずつ広まっていました。

それは、夕方

「大阪はどちらの方角ですか?」

と聞かれ、振り向くと誰もいず、ぞっとしたと言う話や、

「お母さん」

と呼ぶ声を聞く、と言った話です。

その為、上野村の人達は夕方は外出を控えていたそうです。

ジャンボ機は羽田を立ち、大阪へ向かっていました。

又、お盆が近い事もあり、何人かの子供が一人で大阪の親戚宅へ向かう為にこの機に乗っていたのです。

覚悟もしないまま死を迎えた乗客達の「自分は大阪へ行く」という

気持ちだけが残って、そう聞かせたのでしょう。

この話を読んだ時は、私もとても恐ろしく感じました。

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